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とどのつまりデッサンの訓練が面倒くさいという愚痴なのだけど

タグ: イラスト 創作 

――この物語はフィクションです。

お金を出して買った小説本の巻末にはこんな一節が踊っている。
つまりぼくらは嘘にお金を払っている。
ぼくらの生み出す創作物は、誰かがお金を払ってまで騙されたいと思う嘘だろうか。

嘘を吐くのは簡単だ、と誰かが嘯く。
よく言うのは、莫大な真実の中に、少しだけ、気持ち良くなる嘘を孕ませることだ。
そうすることで、人は気持ち良くなるために何度でもその嘘をむさぼるだろう。

創作における真実とは何だろう?
たぶん、写実とか科学的に確からしい、要するにお互いに検証可能なことだ。
でも大体の人はソレに対して表層的なことしか理解していない。
だから、記号的に「それっぽい」言葉を躍らせるだけで自分に都合のいい解釈をしてしまう。

例えば水素自体はそこら中にある元素だけど、水素水なんてデタラメがまかり通るのがいい例だろうか。
あるいは「WXY」。これらはただのアルファベットだ。
W
X  縦に並べるとそこに女体が浮かび上がる、つまりはそういうことだ。
Y

誰かを騙すための嘘を吐くには、その嘘を支える土台となる真実の積み重ねが必要になる。
それはあるいは、人体を描くのに解剖図の模写や人体構造の理解が必要なことに似ている。
もちろんそれらを知らなくても騙されたい人に求める図画を見せることは可能だろう。
ただ、嘘っぽさと真実らしさの配分を自力で調節できないのなら、嘘吐きとしては二流もいいところだ。
調節できないというのは、勉強不足で出鱈目しか言えないのと同じように、嘘を吐く訓練をしていないのでしれっと真実の中に嘘を混ぜることができない……ということも含まれる。
写実的な絵は描けるが、漫画のような絵は描けない人は、たぶん多い。そしてその逆も。

写実を突き詰めることも、嘘を突き詰めることも、確かに才能と努力を要するのだろう。
しかし嘘も写実も、その能力を突き詰めた段階では「入口に立った段階でしかない」。
コミュニケーションとして「騙す」ためには片手落ちであってはならないのだ。
その配分は必ずコントロール下になければならない。
騙されたがる人にお望みの嘘を与えるより、騙されないぞと肩肘張った人を鮮やかに嘘の虜にする。
それこそがプロの騙し屋が目指す、「誰かがお金を払ってまで騙されたいと思う」境地ではないかと思うのだ。

  • 公開日時:2018/04/15 08:39
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おひねりくださいおじさんです。 基本的には何か絵を描きます。
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