メモログ

『幽遊白書』は何故腹が減っただけで名言になってしまうのか?

GoodbyeMrTen
2021/04/11 15:36


monappy、気が付いたら復活していたので投稿再開です。

休止中にはnoteに書いていた文章を、手直しして載せていこうと思います。

今回は『幽遊白書』の雷禅の話。


 

※『幽遊白書』は90年代初頭に大ヒットしたジャンプ漫画。

交通事故にあった裏飯幽助が霊界探偵として蘇り、仲間たちと共に悪い妖怪と戦っていくストーリー。妙に重みのあるセリフや時折垣間見えるダークさが王道展開の良いスパイスとなり、現在でも根強い人気がある。

作者は『ハンター×ハンター』の冨樫義博。

 

 

強力な妖怪が次々と現れる『幽白』の世界において、雷禅は魔界を3分する妖怪のうちの1人です。

全盛期の力は文句なしに魔界最強だったと言われますが、作中の時間軸では大きく弱り、寿命も付きかけています。

そこで雷禅の部下たちが、遺伝上の息子にあたる幽助をスカウトに来る、というのが魔界編の導入となるのですが、ファンは知ってのとおり、雷禅が弱っていく理由がドラマチックで心を打つんですよね。

 

主人公の幽助は人間として生まれて来たものの、雷禅の気まぐれによって、数世代を経て魔族の遺伝子が隔世遺伝しています。幽助には実の母親のほかに、数世代前の遺伝上の母親もいるわけです。

その母親は大昔に若くして死に、雷禅はその女にまた会うために、人食い妖怪にもかかわらず人間を食べずにいるのです。

 

「…………は???」

 

意味不明、ですよね? 意味不明なんですよ。

人間を食べないことと、夭逝した女にまた会えること。

ここに理論的な繋がりは一切ないんです。

 

食べようとしたら気丈に言い返し、そのまま立て続けに挑発と侮辱の言葉を吐いた、その気性に惚れこんだという経緯があるものの、だからといって絶食の理由にはならない。

「自分の意思で人を食う女」と「本能で人を食う自分」との比較で覚えた敗北感を、「自分の意思で人を食わぬ自分」になることで埋めようとした。それにしても、絶食を続ける理由にはならない。

 

雷禅には強いケンカ友達が大勢いました。

彼らの口から語られる昔話から、雷禅は力比べが大好きだったことが窺えます。

その自慢の強さが衰えるがままになっても、

魔界が好きで、大きく変えたくないと思っていても、

強さよりも頑なに意地を守っている。

 

むしろ、強さを犠牲にすることに希望を見出していたのかもしれません。

同作者の『ハンターハンター』の念能力には、そういった要素がありますからね。

「自分の意思で人を食べない自分」として、対等であり続ければ、いつか因果のご褒美で、再開できるのだと。無理だと分かりながらも、やはりうっすらとぼんやりと、期待せずにはいられない。期待せずにはもう生きられない。

 

雷禅が絶食を続ける理由は二つに分けられるでしょう。

 

一つ目は単純に、満ち足りた素晴らしい出会いを思い出として持っておくため。

学生時代に好きな子といったファミレスのレシートを、印字が見えなくなろうがずっと当時のボロ財布に入れたままにしているのに近い。

次に会いに行った時にはもう死んでいたから、やめ時を見失ってしまった、ということはあるでしょう。

 

二つ目は大妖怪ならではの理由、生まれ変わりの存在です。

人間よりずっと長い寿命を持つ雷禅は、当然生まれ変わりを探します。

探していればそのうち似た相手に巡り合えると、当初は楽観的に考えていたでしょう。

しかし実際は、作中で語った通りどの生まれ変わりも肩透かし。

かつての雷禅を惚れさせた丹力を持ち合わせた骨のある生まれ変わりは居なかった。

 

この時点で雷禅は、再会を実質的に諦めます。心の底では諦めたはずです。

「あんな上物は中々居ないんだ」と。ここから絶食が拷問と願掛けに始まります。

拷問については戸愚呂(弟)も同じことをしていましたが、雷禅の絶食は更にまじないの要素があります。

あの絶食は純粋すぎるお百度参りというか、ストイックすぎる願掛けなんですよ。
 

この思考パターンは交流分析の世界で「魔術的思い込み」と言われるもので、「自分が〇〇している限り、いつか相手は××してくれるだろう」という形式を取ります。

つまり雷禅が絶食している限り、再会の可能性はゼロにならないという願掛けです。

 

実際の人間でも、精神が追いつめられてきている人間はこのような行動に出る。実際にするかは別にして、我々にはその余地がある。だからこそ雷禅の絶食祈願は我々の心にクるのです。

 

あの日あの時どうしても通したかった無理が、

泣きじゃくって捻じ曲げたかった道理が、

やり直したい過去への後悔と自責が、

雷禅の祈りと重なって、僕らの心の中で震えだすのです。

それはもう声にはならない場合も多いけれど、確かに心で、その存在を主張してくる。

 

そうした中、存在感の強い名台詞の多さに定評のある『幽遊白書』の中でも屈指の名台詞となるあのセリフがぽろりとこぼれるのです。

 

『あ————……ハラへったな…』
 

いたってシンプル、誰もが使える、けれども深い。

静けさの中で余韻のように何度も響き、不思議と読者の心でリフレインする。
 

この象徴的なセリフと共に、雷禅は意地を貫いてこと切れます。餓死です。

ついぞ惚れた女の生まれ変わりに出会えぬまま、自慢の力がどれ程衰えようと、意地を張り続け祈りを絶やさなかった大妖怪は、愛と意地と後悔とを背負って大往生を迎える。
 

そしてここには救いがあるんですよ。
 

読者が過去に抱えた本人も忘れているような無念の欠片が、すっと撫でられる。

好きな女の子に相手にされなかったとか、引っ越したくなかったとか、流行りのオモチャをついぞ自分だけ買って貰えなかったとか、人それぞれ形は違うだろうけれど、心にしまって忘れようとしてきた無念が肯定される気がするんですよ。

持ち主すらなかったことにしていた記憶が、存在を認められて、慰められるんです。その気持ちはあっても良いんだよ、と。

 

もちろん、読者はそんなことには気が付きません。

でも何故だかこのセリフが心に染み入って今もずっと残っているのは、心の奥の奥に染み入ったからではないでしょうか。

なにげないセリフを人間の心の奥深くに突き刺せるだけの洞察の深さが、『幽白』がファンに長く愛される理由の一つであることは間違いありません。

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