メモログ

核家族化による日本社会の衰退

2980MF
2021/04/11 15:50


 そもそも本質的な共通認識の重要性はどんな状態でも大きく変わらないはずである。

 しかし、共通認識を共有する人達との距離感によっては、感情的な価値観が付加されて、その重要性が大きく変わるように誤認識されてしまう。

 一昔前までは家族間というか、血縁者との強い繋がりを持った人達が多かったから例え縁が薄い人との関係性であってもその繋がりに何らかの意味を見出し、今では多くの人が見失ってしまった血縁者同士の互助会が今の何倍も存在していたように思える。

 最近では共助とも表現されるけど、この関係性は経済的な互助だけにとどまっていなかったように思える。

 定期的に親族同士が顔をあわせる人的な交流があるおかげで、集団内での立ち回りを経験できるのは基本的な社会活動訓練でもあるし、何よりも自分自身の行動が誰かの為になっているという事をすぐに感じとれる場にもなっていたはずだ。

 ただ単に配膳をしたり、お酌をしあったりするだけの行為であったとしても御礼を交えた会話をしあうだけで、自分は何かが出来ているという達成感を得られるし、誰かと直接触れあいながらした会話は画面越しに見る文字だけの交わし合いでは得られにくい感情を付加させてくれるから。

 それは多分、画面越しであったとしても得られるモノではあるんだろうけど、実際に声色や表情も感じながらの方が圧倒的に得やすいので。

 感情が通じ合っていると思えるだけでもその相手に対する思い入れが強くなり、その相手を優先してしまうのは人間の本能だと思っている。

 まぁ、優先するといっても各個人の主観的なモノでもあるので…優先された人にとって不利益だと思えてしまう事もありますが。

 その一つ一つの善し悪しについて判断しようはありませんが、直接的な人との関わり合いが続く事によって引き籠もりにくくなる気がするんです。

 引き篭もりというか…社会との繋がりを絶とうとしている人の主要因として、誰の役にも立たないという思いや自分がいない方がいいという考えがあると思えるから。

 約十三年間月一回の外出6時間以外は畳一畳の範囲で生き続け、それを脱しようとスマホを入手してもいまだに社会復帰できず、もがき続けている自分がいうのもなんですが。

 ああ、自分の場合はこれとは違う問題がいまだに解決できないせいもあります。

 さて、少し脱線しましたが、引き篭もりがいる家庭では引き篭もりの存在が周囲に知られてしまうとその家庭の恥になると思い、本来だったら先延ばしすると解決しにくくなってしまう問題をどうせ解決しないんだから恥を隠しながら先延ばし続けた方がツラくなくていいと自分に言い聞かせてしまう…ああ、直接人とあまり接さなくなってしまった為に自分自身ともうまく向き合えなくなった上、誰かと真摯に話せあえなくなってしまった人間力の低下が引き篭もりなどの根底にある本当の原因だと思うんです。

 まぁ、幼い頃から痴呆のフリをしたりして許され続けてといいますか、それでどうにかなってきた為に今は本当にぼけているのかどうかさえ分からなくなってきた人間とか、自己都合に悪くなると論破させた自分の意見も投げ出し何も分からないとそっぽを向く事を繰り返してどうにかなってしまった為に子供のままといいますか、自己都合に悪い事とは対峙できなくなってしまった人間相手ではどうにもなりませんが、そういう人間であったとしても親戚付き合いがあり、色んな人間と関わり合ったおかげでどうにか生活できる術を身に着けられたんだと思うんです。

 実際には親戚付き合いで感じたきつさよりも得られたモノの価値が劣っていると感じたせいもあって、ある世代から下の世代へ伝わらなくなったモノも沢山あると思うのですが、その途切れてしまったモノの中にも引き篭もりを発生させない因子が沢山あったように思っています。

 それはお祭り行事を含めたその地方地方の伝統文化の中にも含まれているとも思っていますが、地域的な集団の結束力が低下したように思える現代においては、血族的な集団の方が分かりやすいと思えるし、何より自分自身が地域的な集まりに属していなかったので、幼少期だけ属していた血族的な集団だけで思考しています。

 ああ、なんかまた訳の分かりにくい文章になってしまいましたが、核家族化による個人的な考えの変化も各個人といいますか、政治家の基本的な考えを変えてしまったように思えるんです。

 大家族での生活では、自己都合の悪い人とも接しながら向き合って、折り合いをつけなければなりません。

 しかし核家族では、家庭の中に自分だけの安息地を作りやすいせいもあって、見たくないモノは見ないままでいいという勘違いを起こしやすくなってしまうと思うんです。

 実際にこの考え通りかは分かりませんけど、最近の政治的な流れも自己都合に悪い事は全て思考から除外し、大問題にはならない例外と捉え、本当に必要な情報を自分以外からも遮断する事を強要しながら自分の後はどうなっていいと思っているような舵取りをする人は増えすぎたと思えるんです。

 まぁ、自分の死後なんて何をやったとしても報いがちゃんと合ったか分からない人生だからそうなって当たり前だとも思えますけど。

 本来だったらそのへんを宗教などが補充といいますか、生きやすいために導いてくれるはずなんですが、宗教とかもその主導者周辺だけが生き易くしているように思えてしまいますから…。

 ああ、宗教といいますか、今まで生きてきた中で支えたいと思えるモノと出会っていれば、それが個人の生きがいとなるからとてもいい事だと思います。

 ただその考えを周囲に強要したり、誰かを不幸せにする事が生きがいになってさえいなければ。

 

 本当に訳が分からなくなってしまいましたけど、長くなりすぎた気がしますからこの辺で。

*狂人の妄言です。

 

悪しからず。

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