人と人との間を取り持つ社会制度の根幹を形成するのが、政治家の主要業務だから表題はただ言い換えただけにも思えてしまうけど、自分の言い分はそうではない。
最近よく批判されている政治家達の問題の根底には介護問題があるように思えた。
政治家となる為には高齢者を介護するような行為が多すぎるのに政治家達は、自己顕示欲を維持する為だけに必要な行為を排除していないように思えてきたから。
国民に対して効率的な働き方を求める為に各家庭が抱えていた介護問題を業種化した事は、いまだに数多くの問題を抱えているけど、救われた人も多くいると思えるからいい未来へ向かっていると思えるのに。
どうして政治家達だけは本来の政治家という業種に不必要と思えてしまう、褒め称えられたいだけの老人を褒め立て続けるという介護行為にも採用させそうもない介護行為をいつまで排除できないでいるんだ!
昔から必要であり続けるのに現在ではあまり本質的な意味をなさなくなっていると思えてしまう高齢の権力者達を持ち上げながら票を稼ぐ行為を身内でやり続けるのはどうしても止めて欲しい。
色んな業界において科学的な知見が更新されたおかげで、昔からの常識が数多く見直されてきたのにどうして政治家達の活動だけを殆ど見直さずにいられるんだろう?
確かに多くの人から慕われているように思い込めればモチベーションは上がると思えるけど、モチベーションを上げる為だけに堕ちてしまった行為をやり続けてしまう人間は政治家であってはいけない人間じゃないのか?
政治家であり続けるモチベーションは、自己の信念を基とした多くの人がより幸せを感じられる社会制度にかける思いであって、自分を褒め称えてくれる人間の過多じゃないはずだ。
現状で褒め称えられる側にいる人間がそこに行き着くまで、ずっと本心から他者を褒め称え続けていたかはしらないけど、本心からいっていない人がいる事と殆どの人が本心からいっていない事は知っている気がする。
自分の上役となっている高齢者を褒め立てる行為こそが集団の意思を統一するのに必要な行為だと信じ続けて、実際にはそういう行為こそが求心力を低下させ、本当にしなければならない職務へ充てる時間を大幅に削っている現実を理解しようともしないのは、政界における最大の悪癖だと思えてしまう。
この社会で本当に必要な高齢者に対する介護を見下し続け、その介護職従事者を冷遇し続ける現状自体が悪夢のような現実だけど。
介護業務に採用されそうにないどうでもいい介護行為を党内で維持しづけている上で、上役高齢者を精神的に介護する行為こそが政治に必要不可欠な業務だと思い込んでいる人間なんて、精神病棟で隔離した方がいいと思ってしまう。
それに自身が積み重ねてきた悪策による膨大な国家負債を意にも介さず、自身に対して大きな利を見出せないからといって国民一人一人に小さく利する政策をこき下ろす政治家達は、その財産を国家負債の返済目的で没収し、服役義務を課した方がいいとも思えてしまう。
ああ、また愚痴まみれで訳の分かりにくい文章に。
要するに今回は、政治家自体への不満ではあるけど、政治家として国家の要職に就くならば、自分に対する介護を最小化し、多くの人を介護しようとする人間じゃないと納得出来ないし、それが国家的な要職に就く人間の条件だと思いながら実践できる人に政治家となって欲しいんです。
党内融和という多くの国民にはどうでもいい理由を第一として、優秀な人材の時間を無駄に奪い続けるのが当たり前と思い込んでいる人間には、国家の要職について欲しくないとも思っています。
国民の多くの家庭から家長制度を奪うような政策をとり続けるのを社会の為だと謳い続ける政治家達はどうして、家長制度が産んでしまった悪癖の詰め合わせみたいな制度を維持し続けているのでしょうか?
特別な人間達だけには家長制度が必要不可欠と思い込んでいるのかな?
一般家庭だと悪癖にしかならないと思えるモノが、実は高尚な閉じた小さい世界だと必要不可欠なモノとなっているのかな?
それとも自分の不都合とは真摯に向かいあおうともしない人間じゃないと国家の要職に就けないんだろうか?
まぁ、そんな事は実際には分かりようもないからどうでもいいか。
ただ自己や自分の身近だけに都合のいいモノを改善しようともしない人間は、文明の発達によって今後の政界から排除されやすい未来がすぐそこにあると思えるから…そうなるように願っておこう。
現状でもその下地は整っているように思えるから…近い未来にそんな世界があるとは思っています。
政治家という職業が生まれた理想的な理由に近しい業種に政治家が生まれ変わる日は来る気がします。
まぁ、個人個人の小義な理由は違うので、大義として理想的であり続けるようになって欲しいな…と、そんなところです。
悪しからず(狂人の妄言を書き殴った結果です)
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