メモログ

目がはやいは思考の連動性が高い?

2980MF
2021/01/02 15:41


 目がはやいというのは、先読みが出来ると言い換えてもいい?

 先読みとは、色んな物事の連動性をある程度理解しているから出来るモノだと思う。

 ぱっと見で関係性を見出しにくいモノ同士であっても影響を受ける因子(温度や圧力とか…物事自体以外のパラメータ)が同じであれば、同じように因子の影響を受けてしまう条件下では対象物以外にも変化をもたらしてしまうと考えているからこそ先読みが出来るはずだ。

 そして、物事の連動性とは、目で捉える事が出来る物体の方が理解しやすいけど、目だけでは捉えにくい人の心情や定められている規則(法律など)等も他の物事との連動性を有している。

 が、しかし、物事の連動性を意図的に区切って思い込ませてしまう悪習があるせいで、社会的な勘違いをさせ続けている事があるように思える。

 それは、共感性を誤解させやすくしているからそれを起点に大きな誤解をしてしまう人を生み出し続けているように思えることだ。

 一般的な共感性とは、ある集団に属し過ごすためには必要だと思える最低限の連動性を理解して、それに恭順できているかを評価していると思っている。

 本来であれば、その集団があり続けるために集団の掲げる信念(目標や規則を含む)をどう変えればいいか判断できる物事の連動性を理解する必要があるけど、集団から排除されずにすむ程度の理解だけを共感性としているように感じる。

 また集団を維持するだけならば指導者に当たる人やそれに近い人達だけが全ての連動性を考えるだけで事は足りるし、他の人達もそれが出来てしまうと指導者の役割を失ってしまうので、どこかに知識に制限をおいてしまうのは必然になりやすい気がする。

 それにこの状態は一見、健全のようにも思えるが、集団に属する個々の不利益をその集団に属し続ける為にはどうしようも無いモノだと錯覚させてしまうので、それによるストレスは嫌な悪循環の起点となりやすい。

 集団の信念とはその集団に属す人達が生きやすくなる為のモノではあるけれど、その生きやすさは指導者側に偏りやすいという悲しい事実があるので、その皺寄せは指導者以外に振り分けられてしまいやすい。

 その皺寄せが個々に大きな影響を及ぼさないモノでとどまり続けるなら何の問題もないが、実際には肥大化し続けてしまうせいで多くの問題が発生し、その問題の一時的な解決手段としてこれまでに多くの悲劇を引き起こしてきたと思っている。

 今までの歴史が色んな社会変化を示しているので、本当だったら集団の信念とは文明の進行度合によって変化し続ける義務があるはずだ。

 しかし、その利益を手放せない指導者がいつもあり続けるせいで、大勢の人がある問題を共有しない限り体制維持に必要最低限な変化しか実施されないでいる。

 それもあって大勢の人達は変えられる事を変えようもない事だと変な思い込みをしてしまい、自己都合にいい固定観念を多く抱えてしまうようにもなっている気がする。

(所属する集団が都合のいい固定観念を多く所持している為、それに属する個人も集団と同様に都合のいい固定観念を多く所持すべきだと勘違いしてしまう。本来ならば、間違った状態となってしまった固定観念事態を改善しなければならないのに)

 実際に目がはやい人ほど生きやすいのが集団でもあるはずなんだから集団も目がはやい人と同様にあるべきだと思う。

 これまで変な説明になってしまいましたが、目がはやい人とは物事の連動性を知っているからこそ経験した出来事を基とし、その経験が一見だと関わりようがない物事とでも関係あるのかを検証し続けて、検証した結果に沿い続けているからこそ周りから見た場合に生きやすく思えてしまうとも考えている。

 それに加えて、人は誰しもその人がその人である為に多くの固定観念を抱え続けているとも思っている。

 その一つ一つの固定観念も物事の一つであるはずだから固定観念さえも変え続けていかなければならないと思うのは自分の身勝手なおしつけだと思うけど、実際には固定観念を変えちゃいけないと思ってしまう人ほど多くの軋轢を生じさせて、自己を含んだ人達を生きにくくしているように思ってしまう。

 問題が発生する事自体はその集団を維持する為の改善すべき事象と向き合う発端となるから絶対必要なモノだ。

 しかし、集団に属する人達が共通認識を持ちながらお互いに歩み寄った解決を図らない限り、問題は問題のままで残り続けてしまうはずなので、お互いの固定観念を変えずに一時的な先延ばしとなってしまう解決方法しか選択しない現状では、問題という認識の悪い意味だけが多くの人達へふりかかり、問題のいい意味だけが集団の指導者周辺に独占されてしまっているようにも思えてしまうから。

 そのせいで集団の為になるはずの問題自体、一部の人達が既得権益を保持する為の多様な手段の一つとなり果てて、問題というモノが一部の人達だけに不都合な多様性を潰すためだけの手段となってしまったようにも思っている。

 多様性があるほど文明は発展しやすく、多様性が消失してしまうほど文明は衰退するように思えているので、多様性自体は多くあって欲しいと願っている。

 だけど、多様性の中には相容れないモノも存在するので、誰しも関わってしまう社会の基盤にはお互いがあまり干渉し合わない仕組みが必要であり、その仕組みのもとで色んな信念が細分化されている集団を個々が自由に参加できる状態こそ、多様性を保つのに一番いいと考えてもいる。

 そう、多くの多様性がある事自体は問題じゃないし、多い方が健全な状態にも思えるんだけど…集団を指導する立場としては、多様性が多いほど集団を制御しにくくなってしまうので、どうしても多様性を収束させてしまうし、指導者側の利益が多い形で収束させようとするのが人間の醜い本性だと思えてしまう歴史の積み重ねが続いている悲しい事実もあるように思っている。

 そのせいで個人個人も指導者達を見習いながら自己都合にいい固定観念へ執着してしまい、個々の軋轢をより多く引き起こしてしまう状態が今も続いているように思ってしまう事自体が、自分も身勝手な誇大妄想だと思っているけど、これはこれであまり間違っていない気がしている。

 

 結果的にかなり訳が分からなくなってしまって申し訳ありません。

 駄文に閲覧に感謝しています。

 ストレス発散の為に愚痴まがいをMONAPPYへ投稿していますが、以前ここで投稿していたような二次創作をpixivへ投稿しているのでお暇ならどうかよろしくお願いします。(ユーザー名はここと同じです)

 

悪しからず 

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